リレーブログ八番手

 こんにちは。更新遅くなってしまい申し訳ありません。強烈に奇天烈な松本君からバトンを受け取りました斉木です。これまでの流れを汲んで自身の囲碁歴をざっくり語りたいと思います。
 
 僕が囲碁と最初に出会ったのは祖父がきっかけだったといえると思います。よく覚えていませんが、小学校に入ったか入っていないかくらいの頃、祖父の家に遊びに行って囲碁を教えてもらいました。「いいか。囲碁っていうのは自分の地所(じしょ)をいかに多くとるかのゲームなんだ。」祖父はいろいろと説明してくれましたが、肝心かなめの単語“地所”を“辞書”と取り違えていた幼い僕に囲碁のルールが理解できるはずもなく、わけのわからないゲームだなという印象を残しただけに終わってしまいました。
 しかし、ほどなくして家の近くで子供囲碁教室をやっているという話を母が発見。何だかんだ兄妹みんなで行くことになり、そこで囲碁の面白さに気付き碁を始めることになった訳です。
 その後、小・中・高と毎週土日は碁会所もしくは囲碁教室に通い続けました。大会にもよく出ましたが、上位に強い人がいたので個人戦ではそれほど活躍はできませんでした。一方、団体戦では兄妹な力もあり何度か全国大会出場を果たすことができました。
高校や大学を決める際も「囲碁部がある学校」を基準にしており、振り返ってみると僕の学生生活に囲碁は欠くことのできないものだったなぁ、と改めて実感しております。
 ちなみに、僕の打つのが遅い悪癖は昔からのものです。小学校の高学年で出たチーム戦の大会(ペア碁の3人制版)で、僕の長考する割に意味不明な手を繰り出す史上最悪のプレイングは味方を大いに翻弄したものです。次第に改善されるかと思いきや、中・高と進学するたびにノロさに拍車が掛かり、時間切れ負けが頻発するまでになってしまいました。始めたての頃は長考するおじさんに、早く打ってくれと念を送りうんざりしながら対局していたことを思い出すと、ほんと心が痛みます。

 以上、特に何があるということもなくのほほんと続けていたという面白みのない囲碁歴ではありましたが、これからも変わらず楽しんで囲碁を続けていきたいと思います。
続きましては、いつも妙に落ち着いた雰囲気を醸し出している池松君につなぎたいと思います。よろしく。

リレーブログ七番手

こんにちは。教育学部1年の松本です。
まずはじめに、リレーブログの更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。来季の執行代の手際の悪さが露呈していますね(他人事のように言ってみる)。楽しみにされていた各位のみなさまにお詫び申し上げます。
面白くはないかもしれませんが、一生懸命自分の囲碁歴を語っていこうと思いますのでお付き合いください。
僕が囲碁を始めたのは、小1のはじめでした。囲碁好きの祖父が教えてくれて、ドハマりしました。子ども心に通ずものがあったのでしょう。囲碁は「手談」とも言われるのは周知の事実ですが、友達を作る格好の手段。友達のいなかった僕の唯一のコミュニケーション手段・・・のはずでした。
でもね、あまり覚えていませんが、だれかれ構わず「囲碁って知ってる?(キラッ)」ってやってた僕に友達ができたかどうか。神のみぞ、というところではあります。
まあ、冗談(ということにしますね♡)はさておき、津田沼の教室に1年ほど通ったのちに(そのころは5級くらいでしたかね)、先生の紹介で小2から日本棋院のジュニア囲碁クラス、という同情、ちがった道場に通い始めました。そこで、たくさんの才気煥発たる生徒たちに出会います。早稲田の先輩だと、道さん、ゆーきさんとは重なる時期が長かったです。特に道さんには可愛がってもらいました(笑)。道さんはやはり生徒の中でも頭ひとつ抜けていて、憧れの先輩でした。今ではニコニコしながら、(僕はまったく覚えていませんが)僕のキテレツな所作は強烈に印象的だったとよく話してくれます。芸人ではありません、囲碁が強くなるための道場です。このころから才能(哀)を発揮していた、ということでしょう。いつか言われたい言葉は、「松本君って知的だよね」です。
棋力の話をすると、僕は一番下のクラスから始めたのですが、なかなか上に行けなくて。ほんとに苦労して、上級→有段→研修へと上がっていきました。特に印象に残っているのは初段と三段でめちゃ壁にぶち当たったことです。長い冬にけっこう苦しめられましたし、落ち込みもしましたね。でも不思議なもので、勝ち始めると一気に上がりました。考え方などの問題でしょうか。二段の時期はすごく短かったです。
小6で学習塾が本格的に忙しくなった関係で、一度その道場からは身を引きますが、6年の夏には、はじめて地元の少年少女の県代表に滑り込んで(スイス方式には、苦渋も甘蜜もどちらも味わせられました)、なんとなく自信になりました。囲碁を最も外連味なく愛していた時期でしたね。大体四段ぐらいでした。全国?ふふふ、二度打ちしました。(しかも、相手が許してくれた♡)ちなみに、個人戦の全国は、中2・・・コウを二回とる、中3・・・時間切れ。進化の軌跡が見え隠れ。まあ全国のネタ要員ですね。
中学に入り、日本棋院の道場に再び通いながら学校の囲碁同好会に入りました。僕にとって同好会での活動は、囲碁をまた違った視点でとらえるいい機会でした。そう、団体戦です。たまたま先輩に高段の方がいらっしゃって、彼ら一年上の先輩たちと組んで出てました。県では、わりに無双してましたね。3人も高段の人がひとつの学校に集うケースは珍しかったので。現在先輩たちは他大の囲碁部で活躍されてます。今でもよく個人的に遊んでますが、一学年上の人ばかりで不思議な感じです。よくしてもらってます。また、けっこう大事だったことは黄金期がわりに長く続いたことです。後輩くんたちが入ってきてくれて彼らも育ってくれました(イミシン)。僕が中3のときには、彼らのおかげで全国入賞できました。前年に僕のせいで先輩たちを一敗地にまみれさせちゃったので、それの回収ができました。ちなみにその年の優勝チームはKB川さんの学校です。プリンス。女の子二人と組んでてうらやましかったなあ。人となりを知って、いまはフクザツ(ヒント:「チアの練習」)。お世話になってます。
高校は諸事情で、留年しましたので(マジ)大会からは身を引いていました。あと、アニメっていう彼女(モンスター)と出会った。まあ、勉強に打ち込めたので(歌って踊って♡)よしとしましょう。大会、出たかったけどね。
そういう経歴だったので、囲碁が強い大学に行きたかった。受験生活は底辺ながら、「早稲田に行って、囲碁会に入る」と目標を立ててました。念ずれば通ず、というところなのか運よく蜘蛛の糸が下りてきたので(Hoketsu)、いまは学生生活を謳歌してます。変わった気質は治りませんが。まあ個性ということで。
まとめると、僕の囲碁ライフは、
小学生:にぱー♡
中学生:人ってあったかいな。
高校生:「留年はつらいぜ♡」
大学:筋肉(マッスル)上等!
・・・虚しくなんて、ないんだからねっ!
お次は落ち着いた雰囲気が素敵な斉木くんに回したいと思います。よろしく!


リレーブログ6番手

自称通常な人、浦野くん(救急車が大好き)からバトンを貰いました、”めっちゃびんびん”らしい土方です。おわで、面白くない文章を書いて恥をさらしてしまったので、真面目に書きます。僕の囲碁歴は、小学校が部活に入ることを強制されるところで、それで囲碁と出会ったのが初めてです。高知は団体のメンバーが揃うだけで全国大会に出れたので、学校のお金で、東京旅行ができて楽しかったです。ちなみにその後、中高と一回ずつ大会に出ましたが、いずれも棋力は5級もない程のにわか勢で、全国大会に出れたので非常にコスパが良かったなぁ〜と思いました。でも、下手の横好きで今も囲碁を続けられてるので、卒業までには、三段くらいにはなれるように頑張りたいです。後、来年の目標はかわいい一女を囲碁界に入れて、仕上がることです。

リレーブログ五番手

松崎しげるあ、まちがえた松崎秀樹くんからバトンを受け取った浦野です。なんか僕が一番仕上がってるとか言われたんですけど完全にブーメランだと思います。(たぶん松崎くんは自分が仕上がったことを覚えていないのでしょう)みんな囲碁の経歴を書いているのでそれに便乗して僕も書きたいと思います。

囲碁を始めたきっかけは、小4ぐらいの時、テレビで「ヒカルの碁」が放送されていておもしろそうだなと思って囲碁を始めました。囲碁教室に通ったりしてましたがそんなガチでは囲碁をしてませんでした。

しかし、囲碁大会に出るようになって結果を残せるようになってきて囲碁が楽しいなと思うようになっていきました。そして小6の頃、初めて全国大会に出ました。当時の僕は、三段くらいでしたが、長野県はレベルが低かったので抜けることができました。この頃から僕の地区で強い人が集まる碁会所に通うようになりました。碁会所に通ったおかげで、棋力がだいぶ上がりました。

中学生になって、部活でバスケをするようになり、囲碁をする時間が限られてしまいましたが、全国大会には、毎年出れてよかったです。

そして、高校生になり、またバスケ部に入ったのでほんとに囲碁をする時間がなくなってしまいましたが、高校選手権や総文祭などの大会は出れて、いい思い出になりました。

大学生になって、囲碁会に入ると僕が思っていたのと違い、楽しい雰囲気のサークルでとてもいいなと思いました。これからは、もっと囲碁が強くなれるように頑張っていきたいと思います。

次は、めっちゃびんびんの土方くんです。この頃、ますますキャラが濃くなってきているのでどんなお話をしてくれるのか楽しみですね。










 かのちゃんからバトン受け取った社会科学部一年の松崎です。
前に書いてくれた3人同様、囲碁の経歴みたいなのを書きたいと思います。

 囲碁を始めたのは小4の時、おじいちゃんに近所の囲碁教室に連れていかれたのがきっかけです。その教室には30人くらい子供がいて、70歳くらいの先生が教えてくれる感じでした。当時人見知りの激しかった僕は囲碁教室であまりなじめず、ずっと隅でヒカルの碁を読みふけっている悲しい少年でした。先生も厳しいし友達もできないし正直あまり囲碁教室は好きではなかったです。

 小6の頃にはおじいちゃんと互先で打ってたので5段くらいになってた気がします。この2年は自分でも驚くほどの成長スピードでした。(教室の隅でヒカルの碁を何度も読み続けた成果)宮崎の枠がぬるかったのもありますが、この年初めて全国大会行った記憶があります。このころには教室の友達と少し仲良くなっていて、大会で結果も残せていたので割と楽しかったです。

 中学時代、仲良くなった友達はみんな囲碁をやめ、なにがしかの部活に入っていきました。僕もその流れでやめようとか考えていたのですが、中途半端に強くなってしまったのでやめづらくなり、結局部活に入らず、囲碁を続けることになりました。中学時代は毎日のように、囲碁を打ちにあちこち行ってたので、友達と遊んだ記憶がほとんどないです。大切な青春時代をおじさんたちと過ごしたのはほんとに今でも後悔しています。同年代に囲碁してる人がいれば良かったのですが、みんなやめてたのでほんとにボッチでした。青春を犠牲にし,おじさんと毎日打ってたのでめきめき上達し、中2で宮崎の一般棋戦で準優勝し、全国の枠も抜けれるようになっていきました。多分このころが一番囲碁のモチベ高かった気がします。

 高校時代、思春期真っただ中、「みんなきゃぴきゃぴしてるのに何で自分だけおじさんと囲碁打ってんだろ」と思い悩んでいました。このままだとほんとにやばいと思い、高1の7月くらいから、仲の良かった友達8人で天文部(男女比1:1)を立ち上げたり、生物部に入ったり、友達とドラムしたりして、リア充を気取っていました。このころは、時々碁会所行くくらいであんまり囲碁やってなかった気がします。これで高3の時全国6位取れるんだから、やっぱり気取ってるだけでもリア充は強いなーと思いました。(単純に強い人に当たらなかっただけ)。その後その功績が認められ、学校に囲碁将棋同好会なるものが作られました。部員10人(将棋9人、囲碁1人)。さすがに一回も行かなかったです。結局小4から高3までボッチの呪縛から解き放たれることはなかったです。

その後大学に入り、囲碁サークルに入ってやっと囲碁打てる同年代の人たちと出会うことができました。普通にうれしかったです。大学ではもう少し頑張りたいと思います。


次は今年1年で1番仕上がっている浦野君です。
どんな武勇伝を聞かせてくれるのか楽しみですね。
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