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リレーブログ

良い方の山田からバトンを継いだ悪い方の山田です。
ここでは真面目に囲碁との馴れ初めについて語ると言う事なので、上げられたハードルは掻い潜る感じで自分の囲碁史について述べて行きたいと思います。

自分が囲碁を始めたのは小学一年の時に、祖母の発案で家族全員で始めたのが切欠です。
そのころは日本棋院の認定大会に出るくらいで本格的に囲碁を習ってはいませんでした。
本格的に始めたのは小学三年の時に、近所のおじさんに勧められて駅の近くの碁会所に通い始めた頃からです。
碁会所の先生に初めに習った事は「切れる所は切れ」だった様な気がします。
現在のゼンツ山田の原因は多分ここです。
順調に相手の石を殺し続けた当時の自分は、認定大会ではなく県代表戦に出るようになりました。
初めて代表になれて全国大会に出た時は、大石を取られて泣きじゃくった記憶があります。
その後も個人戦では、石を取ったり取られたりしましたがここでは割愛します。

中学受験をした自分は地元の中学ではなく中高一貫の浅野中学に入学しました。
学校に囲碁部がなかったので部活動は一年の時は剣道しかやっていませんでした。
そんな寂しい囲碁生活に変化が訪れたのは、中学二年生になった時に二人も囲碁が強い新入生が浅野に入学したことです。
新入生が入って喜んだ自分は、将棋しかいなかった棋道部に囲碁部門を開設し、冬の早朝に空き教室で三人で練習会を開いたりしていました。
三人で団体戦に出てみると、全国大会で八位と結構よいところまで行け、その後一年間みのる会などに参加し腕を磨いた結果、翌年では優勝することができました。
また、次の年の新入生を胡散臭い口上で大量に引き入れたのもいい思い出です。

高校にあがると大会に出場する人のレベルが高くなりなかなか石を取るのは難しくなりました。
そのようなときに自分は浅野で新たな発見をしました。
実は二つ上の先輩に囲碁が打てる人が二人もいたことです。お二人とは一度しか大会に出られなかったのが残念です。
その後もいろいろな大会に出ましたが、高三の時の総文祭に神奈川チームとして出場したのが最後となります。
大学受験が終わり早稲田の囲碁界に顔を出した自分は様々な意味で衝撃を受け、そのままこうして今に至ります。

さて次回のリレーブログは理工繋がりで、卵黄が主成分の米津先生にまわしたいと思います。
彼ならば、楽して大石を殺せる方法を我々に教示してくれると期待しています。
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