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リレーブログ十一番手

 こんばんは。二女の天使(ほんもの)のすずかちゃんからバトンを受け取った、二女の幽霊部員の高橋桃子です。気がついたら一ヶ月経っていました……。たいへんお待たせいたしました!それでは囲碁歴を振り返ってみようと思います。

 囲碁を始めたきっかけは、当時(=たぶん私が小学校二年生くらいのとき)「ヒカルの碁」にハマっていた両親がプラスチック製碁盤を買ってきたことでした。父に容赦なく石を取られてすごく悔しかったです(笑)そのうち地元の地域センターでこども囲碁教室が開かれているのを知り、参加するようになりました。対局そのものよりも、相手とのおしゃべりと帰りにもらえるお菓子と休み時間に走り回って遊ぶことの三つを楽しみに通っているような感じでした。この教室の大会で準優勝したのが今のところ私の囲碁人生のピークですね(笑)
 中学に入ると囲碁部は廃部で、吹奏楽部と文芸部に入ることにしました。高校もオーケストラと五年間ほぼ囲碁にノータッチでした。ところが受験期、なぜか囲碁と再会!勉強が嫌すぎてPS2のヒカルの碁のゲームで現実逃避しはじめたのがきっかけでした。ものすごく退化していたけれど、以前より面白く感じました。そして入学式の日に囲碁会ブースに吸い込まれ、気がついたら入部していました。

 こうやって書いてみると意外と長いですね。自分でもびっくり!小学生のころの自分に馬鹿にされないように、良い碁を打てるようになりたいです。

 次はおわ係で一緒の右京くんです!よろしくおねがいしまーす!
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リレーブログ十番手

こんにちは。同じコンパ係の池松君に途切れかけていたバトンを回してもらった井内です。
私もみんなと同じように囲碁歴について書きたいなぁと思ったのですが、記憶喪失なのか全然思い出せないので、所々ある記憶をつないで書きます。

まず、囲碁を始めたきっかけ、ルールを覚えたきっかけをまったくもって覚えていませんので、おいといて、中学に入学して、囲碁部に入りました。特に前向きな理由はなく、絶対部活に入らないといけないという私の中学独特のルールのもとに一番活動日数が少なくて楽(らく)そうな部活を選んだのです。高校もそのまま上に進学して、そのまま囲碁部に入っていました。高校生になると大会に出なくてはいけなかったのでとっても嫌だったことだけ覚えています。(別に囲碁を打つのが嫌だったのではなく、日曜日に家からでなくちゃいけないのが嫌だったのです。)

大学に入学して、また囲碁部に入りました。高校卒業の時に同期に言った、「私もう囲碁とは関わらないから」という宣言はいったいなんだったのでしょうか。ここでの活動はとても楽しかったです。そしてここを辞める時にも私は同期に宣言しました、「私もう囲碁とは関わらないから」と。

そして、早稲田に入学して、半年くらいは囲碁のいの字も感じないままに過ごしました。私の人生はそれで良かったはずでした。しかし今、私は早稲田囲碁会に属して活動しています。囲碁の腕は永遠の初心者ですが、なんだかんだ言って囲碁が好きな(日もある)のだと思います。 おわり

それでは次は二女の天使、高橋桃子ちゃんにお願いしたいと思います。とーこちゃん宜しく!!

リレーブログ九番手

斉木くんからバトンをうけた創造理工の池松です。途中の更新が何回か遅れて気がつけば学年が変わってました。

ぼくが囲碁を囲碁をはじめたきっかけは祖父です。ヒカルの碁は囲碁を覚えてから知ったのではじめたきっかけではないです。ヒカルの碁ではじめた人とは世代が違うのかな?祖父からは、詰碁を解けたら100円みたいな感じでお小遣いたくさんもらいました。それを中2くらいまで続けて三段くらいまであがって、そのあと緑星の尾山台教室に二年くらい週2で通って今の棋力になりました。高校生になって大会にでたけれど、東京のわく抜けは無理でした。鳥取でならわく抜けできた自信あります。

大学入ってからは囲碁あんまり打たなくなりました。部内リーグとBリーグ以外で打つことあんまないです。気がつけばコンパ係りになりました。そんなに大変でなく自分に向いているかなぁといった感じの役割でうれしいです。

次は同じコンパ係りの井内さんにまわします。

リレーブログ八番手

 こんにちは。更新遅くなってしまい申し訳ありません。強烈に奇天烈な松本君からバトンを受け取りました斉木です。これまでの流れを汲んで自身の囲碁歴をざっくり語りたいと思います。
 
 僕が囲碁と最初に出会ったのは祖父がきっかけだったといえると思います。よく覚えていませんが、小学校に入ったか入っていないかくらいの頃、祖父の家に遊びに行って囲碁を教えてもらいました。「いいか。囲碁っていうのは自分の地所(じしょ)をいかに多くとるかのゲームなんだ。」祖父はいろいろと説明してくれましたが、肝心かなめの単語“地所”を“辞書”と取り違えていた幼い僕に囲碁のルールが理解できるはずもなく、わけのわからないゲームだなという印象を残しただけに終わってしまいました。
 しかし、ほどなくして家の近くで子供囲碁教室をやっているという話を母が発見。何だかんだ兄妹みんなで行くことになり、そこで囲碁の面白さに気付き碁を始めることになった訳です。
 その後、小・中・高と毎週土日は碁会所もしくは囲碁教室に通い続けました。大会にもよく出ましたが、上位に強い人がいたので個人戦ではそれほど活躍はできませんでした。一方、団体戦では兄妹な力もあり何度か全国大会出場を果たすことができました。
高校や大学を決める際も「囲碁部がある学校」を基準にしており、振り返ってみると僕の学生生活に囲碁は欠くことのできないものだったなぁ、と改めて実感しております。
 ちなみに、僕の打つのが遅い悪癖は昔からのものです。小学校の高学年で出たチーム戦の大会(ペア碁の3人制版)で、僕の長考する割に意味不明な手を繰り出す史上最悪のプレイングは味方を大いに翻弄したものです。次第に改善されるかと思いきや、中・高と進学するたびにノロさに拍車が掛かり、時間切れ負けが頻発するまでになってしまいました。始めたての頃は長考するおじさんに、早く打ってくれと念を送りうんざりしながら対局していたことを思い出すと、ほんと心が痛みます。

 以上、特に何があるということもなくのほほんと続けていたという面白みのない囲碁歴ではありましたが、これからも変わらず楽しんで囲碁を続けていきたいと思います。
続きましては、いつも妙に落ち着いた雰囲気を醸し出している池松君につなぎたいと思います。よろしく。

リレーブログ七番手

こんにちは。教育学部1年の松本です。
まずはじめに、リレーブログの更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。来季の執行代の手際の悪さが露呈していますね(他人事のように言ってみる)。楽しみにされていた各位のみなさまにお詫び申し上げます。
面白くはないかもしれませんが、一生懸命自分の囲碁歴を語っていこうと思いますのでお付き合いください。
僕が囲碁を始めたのは、小1のはじめでした。囲碁好きの祖父が教えてくれて、ドハマりしました。子ども心に通ずものがあったのでしょう。囲碁は「手談」とも言われるのは周知の事実ですが、友達を作る格好の手段。友達のいなかった僕の唯一のコミュニケーション手段・・・のはずでした。
でもね、あまり覚えていませんが、だれかれ構わず「囲碁って知ってる?(キラッ)」ってやってた僕に友達ができたかどうか。神のみぞ、というところではあります。
まあ、冗談(ということにしますね♡)はさておき、津田沼の教室に1年ほど通ったのちに(そのころは5級くらいでしたかね)、先生の紹介で小2から日本棋院のジュニア囲碁クラス、という同情、ちがった道場に通い始めました。そこで、たくさんの才気煥発たる生徒たちに出会います。早稲田の先輩だと、道さん、ゆーきさんとは重なる時期が長かったです。特に道さんには可愛がってもらいました(笑)。道さんはやはり生徒の中でも頭ひとつ抜けていて、憧れの先輩でした。今ではニコニコしながら、(僕はまったく覚えていませんが)僕のキテレツな所作は強烈に印象的だったとよく話してくれます。芸人ではありません、囲碁が強くなるための道場です。このころから才能(哀)を発揮していた、ということでしょう。いつか言われたい言葉は、「松本君って知的だよね」です。
棋力の話をすると、僕は一番下のクラスから始めたのですが、なかなか上に行けなくて。ほんとに苦労して、上級→有段→研修へと上がっていきました。特に印象に残っているのは初段と三段でめちゃ壁にぶち当たったことです。長い冬にけっこう苦しめられましたし、落ち込みもしましたね。でも不思議なもので、勝ち始めると一気に上がりました。考え方などの問題でしょうか。二段の時期はすごく短かったです。
小6で学習塾が本格的に忙しくなった関係で、一度その道場からは身を引きますが、6年の夏には、はじめて地元の少年少女の県代表に滑り込んで(スイス方式には、苦渋も甘蜜もどちらも味わせられました)、なんとなく自信になりました。囲碁を最も外連味なく愛していた時期でしたね。大体四段ぐらいでした。全国?ふふふ、二度打ちしました。(しかも、相手が許してくれた♡)ちなみに、個人戦の全国は、中2・・・コウを二回とる、中3・・・時間切れ。進化の軌跡が見え隠れ。まあ全国のネタ要員ですね。
中学に入り、日本棋院の道場に再び通いながら学校の囲碁同好会に入りました。僕にとって同好会での活動は、囲碁をまた違った視点でとらえるいい機会でした。そう、団体戦です。たまたま先輩に高段の方がいらっしゃって、彼ら一年上の先輩たちと組んで出てました。県では、わりに無双してましたね。3人も高段の人がひとつの学校に集うケースは珍しかったので。現在先輩たちは他大の囲碁部で活躍されてます。今でもよく個人的に遊んでますが、一学年上の人ばかりで不思議な感じです。よくしてもらってます。また、けっこう大事だったことは黄金期がわりに長く続いたことです。後輩くんたちが入ってきてくれて彼らも育ってくれました(イミシン)。僕が中3のときには、彼らのおかげで全国入賞できました。前年に僕のせいで先輩たちを一敗地にまみれさせちゃったので、それの回収ができました。ちなみにその年の優勝チームはKB川さんの学校です。プリンス。女の子二人と組んでてうらやましかったなあ。人となりを知って、いまはフクザツ(ヒント:「チアの練習」)。お世話になってます。
高校は諸事情で、留年しましたので(マジ)大会からは身を引いていました。あと、アニメっていう彼女(モンスター)と出会った。まあ、勉強に打ち込めたので(歌って踊って♡)よしとしましょう。大会、出たかったけどね。
そういう経歴だったので、囲碁が強い大学に行きたかった。受験生活は底辺ながら、「早稲田に行って、囲碁会に入る」と目標を立ててました。念ずれば通ず、というところなのか運よく蜘蛛の糸が下りてきたので(Hoketsu)、いまは学生生活を謳歌してます。変わった気質は治りませんが。まあ個性ということで。
まとめると、僕の囲碁ライフは、
小学生:にぱー♡
中学生:人ってあったかいな。
高校生:「留年はつらいぜ♡」
大学:筋肉(マッスル)上等!
・・・虚しくなんて、ないんだからねっ!
お次は落ち着いた雰囲気が素敵な斉木くんに回したいと思います。よろしく!


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